江戸を歩く-192
ここから皇居方面に歩きました。
江戸時代に整備された五街道の一つに甲州街道があり、日本橋から甲府に至る街道でした。
日本橋から一つ目の宿場、高井戸までの距離が長く、不便であったため、その中間に宿場ができました。 その宿場のできた敷地が、内藤氏が幕府に返上した屋敷地であったことと新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の起こりとなりました。新宿御苑近くに「内藤町」の地名が今も残る。
徳川家康の家臣、内藤清成は、石高の割りに広大な土地を授かった。その後、幕府にかなり土地を返上した。