私が作りました。築地の卵焼きの作り方を真似しました。 築地場外市場にある卵焼き展示です。フライパンが違いすぎでした。味まで真似ができません。プロの違いを思い知らされました。
回顧録のブログ記事
回顧録(ムラゴンブログ全体)-
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古いデジカメの中にあったメディアからの懐かしい写しいです。 場所は東京都佃、隅田川に架かる勝鬨橋です。 富士山、東京タワーが見えます。
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劔御前手前での撮影です。遠くに見えるのは、雄山(3003m)
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コバイケソウが奇麗でした。 山の涼しさが懐かしい。
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ここから晴海通りを銀座方面に歩くと銀座四丁目交差点です。 銀座四丁目交差点です。
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水曜日は、築地市場は休みです。今も豊洲市場は、水曜日休日です。 最近は、出かけることができず過去の写真を載せています。m(__)m 築地場外市場です。この看板は、今でもあるだろうか?
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法務省です。明治の雰囲気がします。
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国会議事堂です。 国会議事堂周辺は、警視庁の機動隊が警備をしています。 警視庁の大型バスが駐車しています。
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原宿駅近くで写真を売っていました。サイクリングで訪れた所の写真でした。 今頃どこにいるのだろうか?羨ましくもありました。 この自転車で日本一周をしていました。
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佃島から隅田川の上流に行ったところです。佃のタワーマンションが見える。
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旧国立競技場でのラグビーの早明戦。 ラグビー観戦によく行ったものです。
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宮城県石巻市の運動公園にあった1964東京オリンピック聖火台です。 現在は、どこにあるのか知りません。 国立競技場を建て替える時に、一時ここにありました。 あの頃の日本人はどこに行ったのだろうか?
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去年、コロナ騒ぎが始まったころの築地魚河岸です。 あの時食べておけばよかった。
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築地の魚河岸。どんな種類か知りませんが、マグロです。
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グライダーに乗せてもらいました。
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銀座四丁目交差点です。 白い建物に日産の車の展示場があります。奇麗なお姉さんが迎えてくれます。
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晴海大橋から晴海タワーマンションを見る。 レインボーブリッジと豊洲大橋を見る。
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ゆりかもめからの豊洲の風景。晴海のタワーマンションを見る。今では、この風景を見ることができないだろう。
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このGPSは、かなり古くなってしまったGPSです。現在は、見やすく、小型で多機能です。 2071は、気圧高度、2.71は、上昇速度、20.1は、対地速度m/sです。(毛無山上空)
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毛無山(1964m)から本栖湖を見る。
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めがね橋を上から見ようと斜面を登ってみました。
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明治25年4月に建設が始まり12月に完成。芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋で、川底からの高さが31mあり、我が国最大級のものです。(群馬県安中市ホームページ)
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東京ゲートブリッジを歩くには、写真中央にある階段から上がります。 冬だというのにキャンプをしている人がいました。
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夜の勝鬨橋です。築地大橋が架かっていません。
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東京港 第三航路(東京東航路)を跨ぎ 中央防波堤外側埋立地 と 江東区 若洲 を結ぶ 橋梁 である。(インターネットから)若洲には、キャンプ場、ゴルフ場がある。ゴルフ場は禁煙です。ここは、ごみを埋め立てているのでメタンガスが出るかも?
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晴海大橋を渡りきったところです。 晴海大橋からタワーマンション群。東京スカイツリーが見えます。
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晴海大橋から晴海のタワーマンションを見る。
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レインボーブリッジが見えます。この橋(手前の橋)を渡ると豊洲市場です。
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遠くに東京タワーと富士山が見える。 夜の勝鬨橋
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築地大橋が架けられた。
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タイ王国の駐車場です。左の車は、右にの車があるので出ることができません。しかし、右の車は、サイドブレーキをかけていないので押すと動きます。右の車を押して駐車場から出ることができました。この停め方は、日本人には真似できないと思いました。 タイで初めてしたことがこの車を押したことです。
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立山の称名の滝が雲海の下にあります。
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私が初めて3000m級の山に登った山です。
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落差350mの称名の滝です。右に見える白い筋は、雪解けの時だけ発生する。
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リフトが動いていません。スキーは問題なくできます。
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スキー場です。ここまでは、歩いて登りました。雪上から離陸。
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河口湖IC出口からの富士山です。
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新倉山浅間公園からの富士山
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このような写真を撮れるのは、めったにありません。幸運でした。
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河口湖ICからの富士山です。ここからの富士山は、驚くほど大きく見えます。
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黒部立山アルペンルートの雪の大谷です。
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4月にスキーに行こうと思っていましたが、営業していませんでした。 去年のスキー場です。
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東京駅だよおっかさん!!
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赤レンガが奇麗でした。 東京駅のドームの天井です。
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流橋が流れてしまったので、復旧工事中です。 流橋は、川の流れの抵抗を少なくし、流れても復旧しやすくなっています。
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タンデムフライト、日常の風景と違い感動します。
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大月から河口湖に行く途中で見える富士山です。
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河口湖から御坂峠に登るときに見た富士山です。
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劔岳は、名前の通り険しい山です。
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立山の春です。立山の春と言っても冬です。(昔の写真)
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緊急事態宣言が解除されました。 しばらく出かけていないので、懐かしい風景になりました。
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日本橋の中央にある「日本道路元標」です。 日本橋は、車が走っています。車の間隙を縫って撮影しました。 車のタイヤに磨かれて光っていました。昔の写真です。
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北海道旭川市にある鷹の爪(ラーメン専門店) チャーシューがデカい。最近美味しいラーメンを食べたことがない。 昔の写真を見て食べたころを思い出しています。
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河口湖と富士山を見ながらフライト。 景色は、このエリアが一番です。
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御坂峠からの富士山です。
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静岡県朝霧高原の毛無山(1964m)から本栖湖を見る。
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私の愛機です。
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雪の朝倉山浅間神社。残念ながら富士山は、雲の中です。
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表参道を歩いていた時に、乳母車に沢山の猫を載せて歩いていた人に遭遇。 同じ種類の猫でみなおとなしく乳母車に収まっていました。
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去年の年賀状に使用した写真です。 忠霊塔は、山梨県富士吉田市の新倉山(あらくらやま)中腹にある戦没者の慰霊塔です。忠霊塔の周辺は、富士吉田市が管理する新倉山浅間公園として整備されています。(インターネットから)
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文化庁、文部科学省、スポーツ省 霞ヶ関の官庁街です。
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東京タワーに登ったのは、小学校の時だった。 東京スカイツリーには、近くまで行ったが登ってみようとは思わない。 何故だろうか?
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薄暮の東京駅
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大月ICから河口湖に向かい10分ほど走ったころ、目の前に富士山です。 今年の富士山には、ほとんど雪がありません。
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この写真は、以前撮影したものです。今年の富士山の積雪はほとんどありません。 今年は、暖冬かも?
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大桟橋からレンガ館を見る。
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首里城には多くの門があります。 観光用でしょうか? 狛犬?
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火災で焼失する前の首里城。 首里城内
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石垣で囲まれている。標高120m~130m、那覇市内と東シナ海が見える。 城壁の石垣
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首里城郭内に入るための第三の門「漏刻門」。かつて門の櫓に水槽が設置されていて、そこから水が漏れる量で時間を計ったといわれています。(インターネット参照) 漏刻門のへの登り口にあります。
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国家の安全と繁栄を祈願した石門
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那覇市内観光には、ゆりレールが便利です。 守礼の門
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首里城 今は、火災で焼失してしまった。 南国だけに派手な色でした。
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全長1,690mの橋。1995年3月13日に開通した。なんと農道です。 橋には、灌漑用の水、電気を送るパイプラインが付設されている。宮古島は、水が豊富にある。地下ダムがあるそうです。天気情報に農業用に散水情報がありました。 宮古島には、下地(しもじ)と言う名前が多い。
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石がゴロゴロ見えるのは、昔、津波で運ばれたものです。
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マングローブの中にボートで探検。 見たこともない大木。この根っこは何かに使えそうだ。
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牛が大活躍です。(西表島) 由布島
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牛に引かれて島内観光。
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まさに楽園のような風景でした。
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おなじみの風景です。石垣島の川平湾、社員旅行で行きました。 見たことがない奇麗な海でした。
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横浜港大桟橋からの夕焼けです。
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ティファニーとは、朝食を食べるところだと思っていました。(銀座三丁目あたり)
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このパラグライダーエリアは、無くなってしまいました。懐かしい写真です。
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一瞬雲の上に出ましたが、御覧の通り。雲の上に出たときは、雲の上を歩ける❓ 夢のような一瞬でした。
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河口湖からの富士山
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グライダーに乗せてもらいました。埼玉県妻沼滑空場(昔の話)
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富士山と河口湖、パラグライダーでのフライト。最高の景色です。(昔の写真)
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ヒガンバナと言えば赤い花?白いヒガンバナが咲いていました。
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雲底まで上昇。パラグライダーの上昇限度だろう。
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上昇気流を探し、この雲の淵を狙い上昇する。
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上空は、夏でも涼しいです。しかし、ランディングしてから汗が噴き出す。
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展望台前景、ゴンドラの駅舎が見える。駅舎から展望台まで歩いて15分くらいだった。
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展望台のテイクオフ。ゴンドラが撤去され、今は歩いて登る。体力がないとできません。機体の影が映っている。
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室堂にあるみくりが池。(立山)
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雷鳥沢のキャンプ場と劔御前をみる。(立山)
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チングルマとイワカガミ(赤色)
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雷鳥沢の雪渓 雪解けの水が旨かった。
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立山の雷鳥沢 ガスが掛かり登山をあきらめたときのものです。
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ミヤマキンバイ 黄色が鮮やかでした。