江戸を歩く-211
1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により「勝鬨の渡し」が設置された。築地と、対岸の月島の間を結ぶ渡し舟である。(ウィキペディァ)
3,000トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋として設計。(都電も走っていた。)
1940年に「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定であった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画の一環でもあったため、格式ある形式、かつ日本の技術力を誇示できるような橋が求められた。そのため、イギリスやドイツ等から技術者を導入せず、全て日本人の手で設計施工を行った。日中戦争で博覧会は、中止。(ウィキペディァ)
夜の勝鬨橋